1月29日のブログで、お不動さまや金毘羅さまの話をしました。
それで、今回は山田が自分の実家の話を書きたいということになったので、本人に書いてもらいました。(以下、山田)
私・山田が神業や特別セッションを始めた20年以上前、霊能ある会員から、
「先生には不動明王さまが守護しています」と言われていました。
私の家は浄土真宗なので、
(阿弥陀如来さまならわかりますが)不動明王さまというのはどうしてかな?と思っていました。
あとで思い出したのですが、私が小学生の頃まで、
本家の庭に不動明王さまの石像が祀られていたのです。
私は幼いながら、誰から言われるでもなく、本家に行った時は拝んでいました。
(私の兄弟姉妹はそういうことはしなかったようなので、
無意識の想いというか、前世からの習慣はこわいですね。笑)
当時の私は、それがどんな仏さまとも知らなかったのですが、
「赤い炎」が妙に印象に残っていました。
その後、本家は引っ越し、庭は更地になり、お不動さまの姿も見えなくなりました。
後年、私が神さまにうかがったところ、
《あなたを守っているのは、あなたが拝んでいた、あの不動明王です。
あなたが独立して、神仏に関わる仕事を始めたことで、守護をするようになりました》
ということでした。
人間は覚えていなくとも、神仏というのは律儀でありがたいご存在なのです。
また、私の産土神社は乙宮(おとみや)神社で、
背後のお山の頂上に境外社の琴平神社が鎮座しています。
(琴平神社は前回ブログで書いたように、妻の祖父たちの尽力で建ったそうです)
乙宮神社のご祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)さまで、神話の山幸彦です。
龍宮に行って、乙姫さまである豊玉姫大神さま、玉依姫大神さまと出会うことになります。
「乙宮神社」はまさに乙姫の宮であり、乙姫さまが“隠れ神”としておられるということです。
このように、神社のご祭神としてお名前が入っていなくても、
縁ある神々が隠れ神としておられるケースは多いのです(最新号『秘録』73号に詳述)。
そして、隠れ神が産土の大神さまになってくださるケースも、
神伺い特別神事を行っていると、多いことがわかりました。
玉依姫大神さまは私の奇魂(くしみたま)をくださった女神さまですので、
産土神社は一霊四魂と縁深いことがわかります。
それから、私の産土の大神さまは琴平神社を拠点とする隠れ神の
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)さまです。
最初はご祭神でもない建速須佐之男命さまが、産土の大神さまであることが謎でした。
しかし、境内の石祠に八坂神社があることがわかりました。
明治時代に全国で神社の統廃合や廃仏毀釈があったので、
現在は祭られなくなっていても、その神社仏閣・聖域におられる神仏は多いのです。
そういう神仏も、皆さんの守護曼荼羅のご存在になってくださることがあります。
たまに、「お参りにいったのですが、その仏さまはここに祀っていないと言われました。どうしてでしょうか?」
と質問が来ることがあります。
それは以上のような理由で、隠れ神仏としていらっしゃるからです。
ですから、神社やお寺の方に聞いても無駄です。
そのことをご理解いただいたうえで参拝してください。
さて、私の故郷にはスサノオノ尊さまをご祭神にしている神社が多く、祇園祭なども盛んでした。
ミロク北辰の大神さまにうかがってみました。
《五島列島は朝鮮半島や中国との交流も多く、出雲の流れを汲みます。
建速須佐之男尊が朝鮮半島の曽尸茂梨(そしもり)に行って、日本に戻ってきたという伝承があるように、
ある意味、五島列島は建速須佐之男尊の勢力範囲です。
あなたが神業の初期に素盞嗚尊のワケミタマをいただいたのは、必然なのです》
乙宮神社の由来では、戦国武将・柴田勝家第2の孫である勝厚が、
8人の従者とともに当地に居住し、家運長久のために建立したとされます。
柴田勝家は織田信長公の家老だった武将です。
私の母方は柴田家で、子どもの頃から先祖は柴田勝家の子孫だと聞かされてきました。
そして、山田家は勝厚の家来衆の子孫になります。
つまり、私の産土神社は、私の遠い先祖が建立した神社になるわけです。
妻の母方の祖母の母方の姓が、8人の家来衆の中に名前がありますので、
私たちがここで結婚式を挙げたのも先祖からの縁があったのだなと思います。
(次回に続く)