コロナがおさまってきたので、11月末、1泊で旅行に行きました。
寒気が強まってきたので、無理せず、近場で吉方(西北)の秩父方面にしました。
快晴のもと、最初に長瀞から近い寶登山(ほどさん)神社に参拝しました。
ご祭神は「神武天皇、大山祗神、火産霊(ホムスビノ)神」です。
火災盗難除け・諸難除けの守護神としてのご神徳があります。
宝登山はヤマトタケルノ尊伝説の地です。
由緒によれば、
「今からおよそ1900年前、第12代景行天皇の御代、
日本武尊が東征の帰途、山容の美しさに惹かれ、ミソギの後に山頂を目指します。
途中、山火事に遭遇しますが、神犬の神助を得て、
無事に宝登山山頂に於いて神霊を祀られた事が当社創建の始めと伝えられています」
ということです。
神犬とは「大口真神(おおくちのまかみ)」です。
そのくだりを紹介します。
「日本武尊が突然の山火事に進退がきわまったその時、
こつ然と山犬たちが出現し、またたく間に火を消し止め、
尊一行を頂上まで案内すると、山犬たちは姿を隠してしまいました。
この不思議に、尊は山の神がご眷属の大口真神たる山犬をお遣わしになり、
自分たちを救ってくださったとお悟りになり、
山頂に神籬(ひもろぎ)をしつらえ、
尊の祖先にあたる第一代神武天皇、山の神の大山祇神、火の神・火産霊神を祀り、
山の名を『火を止める山』と表し、『火止山=ほどさん』と定めました」
大山祇大神さまの配下の神犬たちが活躍してくれたのですね。
そういえば、神犬の最高レベルは大山祇大神さまの配下の神犬だという神さまのお話がありました(5月15日のブログ)。
ヤマトタケルノ尊さまを助けた神犬たちは神犬界トップクラスの精鋭部隊だったのかもしれません。
寶登山神社は近年、社殿の修復を終えて装飾がとても豪華で色鮮やかになっています。
参拝客も多く、七五三の時期でもあり賑わっていました。
拝殿左手の神楽殿に「神人和楽」の大きな額がかかっています。
山田がよく使う言葉ですね。
拝殿左側から裏手に回ると大黒天(大国主大神)さまの石像があります。
この大黒天さまは金運のご利益があるとされます。
米俵を踏み、右手に打ち出の小槌、左肩に宝の袋をかかえ、おなかにはハダマの模様があります。
よく見ると、米俵にもハダマが。ハダマは光のマニ宝珠の大神さまと同じ形です。
『光の神業秘録』0号で、山田は次のように説明しています。
「ハダマのような形をしているのが、奇甕魂(クシミカタマ)です。
大国主大神さまの神語である『幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)守り給へ幸(さきは)へ給へ』は、
この幸甕魂(サキミカタマ)・奇甕魂の偉大な力をもたらす神語なのです」
さらに行くと、ヤマトタケルノ尊さまを祭るお社があります。
本殿裏手に広いスペースがあり、そこから本殿を拝しました。
寶登山神社は秩父・長瀞に観光に来られた時はぜひ参拝したい開運神社です。
奥宮は宝登山山頂に鎮座し、ロープウェーで行けますが、今回は行きませんでした。
(過去3回は登っているので…)
奥宮に神犬の「獅子狛犬」像があるということです。
宝登山神社のホームページによれば、
「関甲信遠地方の山間部には、山犬、オオカミがもつ類まれな能力に畏怖、畏敬の念をいだき、
お犬様を神さまのお使いとしている社がたくさんある」
ということです。
近辺では三峯神社(秩父市三峯)、東京の武蔵御嶽神社(青梅市御岳山)もお犬様信仰で有名ですね。
寶登山神社の神犬像は日本犬のイメージですが、
武蔵御嶽神社はニホンオオカミです。
三峯神社のお犬様は白いオオカミだとされます。
それぞれヤマトタケルノ尊伝説があり、
ストーリーは少しずつ違っていますが、
山犬(オオカミ)に助けられたり、道案内をされているところは共通しています。
また、長瀞の近くの岩根神社は桜とつつじの群落の美しさで有名なスポットですが、ここもお犬様伝説があります。
四道将軍の武沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)がこの地で濃霧のため道に迷った時に、
大山祇命の使いである巨犬が現れ、ミコトを導いたことが由来とされます。
その後、ヤマトタケルノ尊もこの社に詣でて、剣を奉じたという伝説です。
さて、寶登山神社にはこのお犬様に対して「お炊き上げ」神事というのがあるそうです。
赤飯や白米を調理してお犬様たちにお供えし、祝詞を奏上します。
秩父のお犬様たちは眷属というよりも、
「大口真神」という神名をもつ神そのものとして大切にされてきたわけです。
古くからの人間と犬とのかかわりや、神犬様がいかに厚く信仰されていたかがわかりますね。
次に、景勝地で有名な長瀞の岩畳に行きました。
紅葉シーズンも最後のあたりですが、船下りの客や多くの観光客で賑わっていました。
岩場を慎重に上り下りするので、足腰の悪い人には少したいへんかなと思います。
そこから、美の山(586m)に登り、山頂にある美の山公園で
秩父市内と秩父のシンボルである武甲山を中心に秩父連山を一望しました。
美の山から下っていくと和銅遺跡があります。
708年、武蔵国秩父郡黒谷から産出した銅が献上され、喜んだ朝廷は元号を和銅に改元します。
そして、日本初の貨幣である和銅開珎(わどうかいちん)が発行されます。
その和銅にゆかりの聖(ひじり)神社に参拝しました。
聖神社の創建は和銅元年、朝廷が勅使をつかわし、
銅の採掘された「祝山」にヒモロギを立てて金山彦命(鉱山の神)を祭ったのが始まりとされます。
朝廷が勅使をつかわして、元号まで変えたのですから、
銅が採れたことがどれほどの慶事だったのか想像できます。
ご祭神はほかに天照大神、国常立命、神武天皇です。
拝殿右手に大きな「和銅開珎」のモニュメントがあります。
聖神社のご神体は和銅石で、「銭神さま」として金運上昇のご利益が有名なので参拝客はけっこう多いです。
境内には2本の木が寄り添うように立っているご神木があり、夫婦円満のご神徳があるとされます。
聖神社ではムカデが神のお使いとして大切にされています。
ムカデは足がたくさんあるので、お足(金)に困らないという意味もあるようです。
ムカデが神使であるのはちょっと変わっているなと思うのですが、
ムカデといえば、「俵藤太(藤原秀郷)の三上山の大ムカデ退治」伝説が有名です。
また、日光男体山の神である大ムカデと赤城山の神である大蛇が戦ったのが戦場ヶ原だという伝説もあります。
さらに、鳥取県大山や石川県にも大ムカデ伝説があり、
神力をもつ者がこれを退治するというモチーフが各地にあります。
いわば、大ムカデというのは大自然の“脅威”をあらわす存在であり、
昔の人はそこに霊力や神秘を感じ、畏敬の念を抱いたのでしょう。
そして、大ムカデも精霊界の存在であり、地球精霊王さまのご眷属になるのでしょう。
個人的にムカデには恐怖の思い出しかないので、
ムカデまでも神使として大切に祀った古代の日本人の感性にはおそれいってしまいます……(-_-;)
(後編へつづく)
