この春はなかなか出かける機会がなく、ブログに書くネタもないため(-_-;)、
2017年3月31日に旧ホームページで公開した記事に加筆修整して再掲いたします。
(2017年)3月末、千葉県館山に1泊で旅行しました。
いつも吉方位開運法を兼ねて、旅先を選びます。
今回は南が吉方なので、ぎりぎり南の房総半島館山が目的地です。
桜前線にはまだ早く、ちらりと咲いているだけでしたが、
お天気に恵まれ、久しぶりの海辺の風景を楽しんできました。
(2023年はすでに満開ですが、2017年は桜の開花がまだだったのですね…(@_@)
初日に、館山市の那古寺(補陀洛山千手院那古寺、真言宗智山派)に参拝しました。
坂東三十三霊場の終点であり、安房国札三十四霊場の第一番札所という由緒ある古刹です。
歴史を感じさせる、雰囲気のいいお寺でした。
717年、この地を訪れた僧行基が、
那古の海中から得た霊木で観世音菩薩の像をきざみ、
天皇の病気平癒を祈願したのが始まりとされます。
堂内には国の重要文化財の千手観世音菩薩さまの立像がお祀りされています。
美しい観音さまでした。
山田の話では、観世音菩薩は「慈悲」の観音さまで、
観自在菩薩は「智慧」の観音さまだということです。
智慧によって、自在の境地になれるわけです。
『般若心経』は智慧のお経なので「観自在菩薩」になっているという話でした。
本堂の後方は崖になって、崖をくり抜いた中に八大龍王堂と岩船地蔵があります。
眼前に迫る崖はとても迫力があります。
那古寺は桜の名所ということなので、少し時期が早かったのが残念でした。
ちなみに、最新『秘録』81号で、
「鳳凰さまが鳳凰力をくださった千手千眼観世音菩薩を祀る主な仏閣」に、
この那古寺も入っています。
ですから、当時よりもさらにパワーアップしていると思います。
前回行ったので今回は行きませんでしたが、
近くにある「崖観音」船形山(せんぎょうさん)大福寺も超おススメです。
摩崖仏と、崖に立つ赤いお堂がド迫力で、
館山市内や海が一望できる絶景スポットです。
こちらもご本尊は十一面観世音菩薩さまで、
「行基が東国行脚の折に神人の霊を受け、
地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、
山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻した。
その後、慈覚大師によって堂宇が建設された」
と言われています。
行基菩薩と慈覚大師円仁はあちこちの由来に度々登場されますね。
また、前世セッションでも“帰依していた”という会員も多いのです。
崖観音は一度は参拝しておきたい場所ですが、
中高年の方は階段上りで息があがるかもしれません(笑)。
そして翌日、館山湾の「沖ノ島」に行きました。
島といっても陸地と砂洲でつながっており、歩いて渡ることができます。
砂洲を歩いていくと、両側の海は波静かで、潮の香りが心地よく、心がゆったりします。
館山には何度も旅行しているのですが、
今回初めて行った沖ノ島がすごく気に入った山田です。
調べてみると、沖ノ島はもともと海に囲まれた島だったのが、
関東大震災で地殻が隆起して、潮の流れが変化したことで砂が堆積して、
陸地とつながったそうです…!
これは神奈川県江の島もそうでした。
隆起して陸地とつながったり、聖地の岩屋も隆起してしまったという話がありました。
関東大震災だからそんなに昔の話ではないわけで、地震のパワーはすさまじいですね。
沖ノ島に鎮座する宇賀大明神社は琵琶湖の竹生島から勧請されたものだとか。
宇賀は「ナガー(蛇)」のことで、白い蛇ともいわれるそうです。
(ナーガはインド神話の蛇神、龍神のことです)
沖ノ島の帰り、「鷹の島弁財天」の社があり、参拝しました。
平安時代に鎮座し、ご祭神はイシキシマヒメノ命(宗像三女神)です。
ここも、もとは海に浮かぶ島だったのが、
自衛隊の基地の埋め立て工事で陸地になったそうです。
沖ノ島と江島は地形といい、神社のご祭神といい、よく似ています。
次に、鋸山ロープウェーで鋸山に登りました。
ロープウェーはすごく人気で、平日なのに満員です。
鋸山は3回目の来訪になります。
鋸山は標高329m、山頂部分が鋸の歯のようにギザギザしています。
以前は若く体力もあったので、歩いてさまざまなスポット巡りをしたのですが、
今回は「地獄のぞき」などのスポット巡りは断念し(-_-;)、
頂上の展望台からの絶景を楽しみました。
展望台からは東京湾と、遠くに三浦半島、伊豆半島、富士山などが見渡せます。
鋸山・日本寺(にほんじ)は、聖武天皇の勅詔と光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって、
奈良時代の725年に開山されたということです。
ここにも、全国に国分寺・国分尼寺と一国一社の八幡宮を建立させた
聖武天皇、光明皇后の功績が見えます。
聖武天皇は神社仏閣に関して最重要な人物の一人ですね。
開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、
良弁、空海、慈覚といった名僧も滞在したそうです。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。
日本寺の御本尊は薬師瑠璃光如来さまです。
「日本最大の大仏」といわれる、31.5メートルの薬師如来さまの石仏があり、必見です。
初めて来た時は、日本にもこのような巨大な石仏群があることに驚きました。
薬師瑠璃光如来は戦傷を癒すといわれており、有名な武将たちも訪れています。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れた後、
房総半島に逃れ再起を図った折に、日本寺で武運を祈願しました。
頼朝は自らソテツを手植えし、現在も大ソテツとして境内に残っているそうです。
頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに、
荒廃していた日本寺の全山修工に力を尽くし、本殿を再建しました。
まさに、鎌倉幕府の「御成敗式目」にある
「神社を修理し、祭祀を専にすべきこと」
「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」
を実践していたわけですね。
この記事を書いて6年たつのですが、
当時は知らなかったことや見えていなかったものが、
あらためて新たな視点で観えてきたり、理解できる感覚があります。
この間の学びや神業の進展により、
「神仏への認識が深まれば、神社仏閣の風景が変わる」
を実感しています。
最後に私事ですが、3月にピアノ教室の発表会がありました。
演目はマンシーニの「ひまわり」です。
毎日、平和の祈りをこめて、練習してきました。
(結果は……まあまあだったかな?(*^-^*)