遠江国から駿河国へ、初夏の旅日記(駿河国編その1)

  

遠江国編からのつづきです。

2日目の朝、掛川からレンタカーで出発して、静岡市方面に向かいます。

1時間半ほど高速を走る途中、茶処の牧之原台地を通ります。

丘陵の上まで美しい茶畑が広がり、沿道には大きな製茶工場なども見えます。

 

静岡県を西から東へと横断していると、けっこう広いなと感じます。

静岡は旧国の「遠江国・駿河国・伊豆国」から成るので、

広大なわけだねという話になりました。

 

久能山には東名高速からは「久能山スマートインターチェンジ」から行けるのですが、

ETCカードを持ってきていないので、スマートインターチェンジからは入れません。

そこで途中で高速を降りて、一般道から日本平をめざしました。

 

駿河湾沿いの「いちご湾岸道路」を走っていくと、

左手に急峻な崖がせりだし、山の上に小さくお寺のような建物が見えます。

それが久能山でしたが、そこからかなり迂回しないと登れません。

 

日本平ロープウェーまでの山道をくねくねと登っていきます。

(山田は、また山道かとぼやいていました…(^^;)

 

日本平は標高307メートルの有度山(うどやま)の山頂の平たい一帯をさします。

観光地として展望台やテラス、大型駐車場が整備されています。

 

すでに大勢の観光客や観光バスもたくさん来ていました。

観光客はほとんどが日本人で、外国人の姿はちらほらでした。

まだ外国人にそれほど知られていないのかもしれません。

 

久能山東照宮へのアクセスは、日本平からロープウェーで行くか、

海側から1159段の石段(表参道)を登るしかありません。

徒歩で登ると約20分かかるそうです。

 

それを、東照宮の神職・巫女さんたちは毎日、徒歩で通勤しているのだそうです!

 

神職さんの中には7,8分で登ってくる強者もいるのだとか。

(すごすぎる…)

体力に自信がある方は徒歩コースでチャレンジしてみてください(笑)。

 

車で現地まで直接行くことができないし、石段の上り下りがあり、

バリアフリーはありませんので、足腰が悪い方はたいへんです。

 

ロープウェーで久能山(標高216メートル)に下りていく途中、

下は深い谷底で、周りは崖崩れのむき出しの山肌が広がり、大迫力です。

日本平から久能山も含む全体が有度山ということです。

 

久能山(くのうざん)は推古天皇の御代、

秦氏が建てたことに始まるというので、創建1400年くらいでしょうか。

観音菩薩を祀り、補陀洛山久能寺と称し、観音霊場の聖地として繁栄しました。

 

縁起によると、久能寺は平安時代の仏教隆昌とともに多くの僧坊が建てられ、

僧行基、伝教大師(最澄)をはじめ多くの名僧知識が相次いで来往し、

平安末期から鎌倉初期にかけては、360坊、1500人の衆徒をもつ大寺院となったといいます。

また、鎌倉時代には山上山下にわたって300余の禅坊が建てられ、

東海道屈指の寺院として栄えていました。

 

ところが、鎌倉時代中期、山麓の失火によって類焼し、昔の面影はなくなったという話です。

火事で焼失して、埋没・衰退してしまうというのは、残念ながら歴史上よく見られます。

 

1568年になると、武田信玄はここが要害の地であることから、

寺を他の地に移し、「久能城」として要塞化します。

その後、武田氏が滅んで徳川氏の所領になります。

 

家康の死後、遺言により遺体は久能山に埋葬されます。

1616年、東照宮が創建されました。

全国の「東照宮」の元は、この久能山になるわけです。

 

久能山東照宮拝殿側面の装飾画
久能山東照宮拝殿側面の装飾画

 

参拝すると、日光東照宮と同様に豪華絢爛、

細部まで手のこんだ装飾がほどこされた造りになっています。

ミニ日光東照宮のような感じで、社殿は国宝です。

少し上ったところに奥の院があり、家康公の神廟になっています。

 

主祭神は東照大権現(徳川家康)で、相殿に豊臣秀吉公と織田信長公を祭るとされます。

摂社末社として、日枝神社(もとは薬師堂、オオヤマクイノ命)、

愛宕神社(山頂、ヒノカグツチノ神)、竈神社(ホムスビノ命)などがあります。

 

歴史の変遷の中で、薬師如来さまや観音菩薩さまが埋没したのだと思います。

 

山田の話です。

「久能山東照宮の右隣に日枝神社(もとは薬師堂)が鎮座しています。

日光東照宮にも薬師堂があります。

参拝者の願い事は徳川家康公ではなく、

日枝神社の神仏が聴いてくださっているのです。

人間神が主祭神の場合、その近くに自然神・神話神が祭られていて、

願い事を聴いてくださることが多いのです」

 

日光東照宮と社殿の雰囲気は似ていますが、立地がまったく違います。

日光のほうは町の中にあり、だれでも参拝できますが、

久能山は断崖の山頂にあり、容易には行けません。

「なぜ家康はここに自分を葬るようにしたのだろう?」と思ってしまいます。

 

山田の話です。

「久能山東照宮富士山日光東照宮が一直線になっています。

富士山は不死山であり、

江戸の徳川政権を家康公が永遠に守るという意味があるようです。

 

それから、江戸から日光は北方であり、

日光東照宮の背後には北辰(北極星)が輝いています。

昔は「北辰が宇宙の中心」と考えられましたので、

その北辰を家康公は背負うことで、権威を高めたわけです。

家康公は天海僧正による神仏の結界を参考にしました」

 

久能山からふたたびロープウェーに乗り、日本平に戻りました。

日本平(にほんだいら)というのは本来、「やまとだいら」と言うそうです。

ヤマトタケルノ命伝説にちなんだ地名です。

(近くの静岡市焼津は、ヤマトタケルノ命がクサナギノ剣と火打石で火攻めの難から逃れたという伝承です)

  

長くなるので、後半は次回へ。

 

久能山奥の院神廟
久能山奥の院神廟