4月23日、茨城県水戸市方面に旅行しました。
水戸は少し遠いので今までなかなか出かけなかったのですが、
前回、大洗まで行ったので、今回はまだ行ったことのない水戸の重要神社にしました。
お天気は曇り空でしたが、暑くもなく寒くもなく、時々薄日がさす絶好の日和でした。
最初の目的地は常陸国三之宮・吉田神社です。
私は水戸へ行くのは初めてでしたが、山田は2000年11月の「大洗・海の神業ツアー」以来です(『秘録』10号)。
「常陸第三宮・吉田神社」は水戸市宮内町の朝日山とよばれる小高い丘に鎮座します。
創建は5世紀頃、1500年以上前にさかのぼります。
ヤマトタケルノ尊が東夷平定の帰途、
兵をこの地朝日山に留めて休憩させた故事をもって、
この地に神社を創建し、尊を奉祀したとあります。
ご祭神はヤマトタケルノ尊ですが、摂社末社に多数の神々さまがおられ、
人々の願いを聞いてくださっています。
そのご神徳は「国家鎮護、健康守護、武道守護、交通安全、縁結び」などです。
境内に「方位守護」の末社が四隅に配置された形になっています。
たとえば青龍(東)に大国主事代主神社・八幡神社ほか、
白虎(西)に水戸神社・飯神社、
鳳凰(南)に皇大神宮・豊受大神宮・稲荷神社ほか、
玄武(北)に国見神社・早歳神社が配置されています。
参道脇には吉田天満宮(学業成就)が鎮座しています。
社殿は立派で歴史を感じさせる神さびた雰囲気です。
境内は隅々まで整備され、巨木も多く、気持ちのいい神社です。
拝殿前のご神木のしだれ桜は時期を過ぎていましたが、
参道周辺の八重桜が満開に咲いてきれいでした。
吉田神社で重要なのは、参道入口左手にある「朝日三角山」という聖域です。
玉垣で囲われ、鳥居としめ縄がはられた結界は完全にパワースポットの雰囲気です。
故事では、ヤマトタケルノ尊がこの場所から朝日を拝み、
「ここは良い(吉)田が出来るぞ」と言ったことが吉田神社の由来といわれます。
1900年前にヤマトタケルノ尊が言われたことが、
そのまま地名や神社の由来となるのが、おもしろいですね。
朝日三角山の中に「ヤマトタケルノ尊の腰掛石」があり、
この石に腰かけて朝日を拝んだとされます。
吉田神社は小高い丘の上にあり、広場から水戸市街が見渡せます。
つまり「国見」ができる場所なのです。
このパターンで似た神社があったなあと思い出したのが、
常陸国総社宮(茨城県石岡市)です。
総社宮も境内にヤマトタケルノ尊の「腰掛石」があり、
小高い丘から筑波山を遥拝できる場所でした。
さて、2000年の神業では、吉田神社の境内北側の守護である国見神社の近くで神業をしています。
『秘録』10号では、「神世七代の神さま」というだけで、お名前まではわかっていませんでした。
山田の話です。
「当時の神業では、国見神社の神さまは常陸国全体を見ている偉大な神であるというところまでわかっていました。
国見とは本来、高い場所から国中を見渡すことで、その国の霊的支配をするというものです。
古来、しっかり見渡すことは一種の霊力があるとされたのです」
国見神社のご祭神は、彦國見加岐建與束命(ひこくにみかきたけよつかのみこと)という、あまり聞きなれない神さまでした。
後で調べてみると、この神は伊勢国造の祖・天日別命(あめのひわけのみこと)の子であり、
伊勢神宮外宮の摂社・度会国御(わたらいくにみ)神社のご祭神とされる神でした。
山田の話です。
「度会氏は伊勢神宮外宮の神職の家系です。
度会氏は外宮のご祭神・豊受大神を『国常立尊である』と主張しました。
伊勢神業では、外宮には実際に国常立大神さまが隠れ神としておられました。
吉田神社のご本殿の隠れ神も国常立大神さまでした。
(この後の水戸八幡宮で明らかになります)
前回の神業では不明だったのですが、
国常立大神さまが地球神界の主宰神に復帰してから、
全国の埋没した国常立大神さまが徐々に復活しているようです」
『秘録』10号を読み返すと、「国見」について解説しています。
見る行為は霊力・呪力があるとか、さらに「観る力がメソッド習得のコツ」とか、
最近のブログ記事ともかぶる内容でした(笑)。
20年以上前から、観る力の重要性を山田は繰り返し話していたことがわかります。
次に水戸八幡宮に向かいました。
(次回へつづく)