梅雨空のあいまをぬって、久しぶりに東京の目黒不動尊へ参詣に行きました。
連日の猛暑で遠出は控えていたのですが、
この日は雨の予報で気温が低い日だったので、出かけるのに絶好の機会でした。
私の「家族一族の守護神」が不動明王さまです。
家族一族の守護神仏とは、一族で代々拝んでいたり、厚く崇敬する先祖がいたという縁で、
その家族一族をかげながら守護してくださっている神さま、または仏尊さまです。
山田の話です。
「私が対面での前世セッションを行っている時、ある仏尊から突然、
《この家族一族は我が守護している。
我を長年崇敬してくれたので、その子孫も加護しているのだ。
また、我に縁深い仏閣は○○である》
というメッセージがありました。
そういうことがたびたびあったので、「家族一族の守護神仏」がおられることがわかりました。
神仏は人間が思う以上に義理堅いのです。
また、夫の家系の流れの家族一族の守護神仏と、
妻の家系の流れの家族一族の守護神仏がおられることもわかりました。
(どちらかといえば、仏尊さまの割合が多いです)
それで、守護の神仏の神伺い特別神事や、前世セッション、新特別セッションにおいて、
家族一族の守護神仏のお名前と縁深い神社仏閣を神伺いすることにしたのです。
なお、日常的に拝む対象としては、
産土の大神さま、鎮守の大神さまなど「産土の守護曼荼羅」の核になるご存在たちが主(メイン)であり、
家族一族の守護神仏は従になります」
私の場合、祖父が拝んできたお不動さまが私の家系を守護してくださっていました。
そのお不動さまは目黒不動尊由来の仏像なので、
目黒不動尊は私や家族にとって「縁ある仏閣」なのです。
ちなみに、山田の「家族一族の守護神」も不動明王さまです。
昔、山田の実家の本家の庭に、お不動さまの石像を祀っていたそうです。
山田は子ども心にそのお不動さまが気になって、本家に行くと拝んでいたらしいです(笑)。
そういうわけで、夫婦ともに不動明王さまと縁が深いわけですが、
夫婦の場合は「夫の家系」「妻の家系」で違うことが多いので、それぞれお伺いしています。
目黒不動尊の開基は平安時代の808年、
慈覚大師円仁が比叡山へ行く途中この地に立ち寄った際に、
夢枕に不動明王が立ち、その姿を彫って安置したことに始まる“関東最古”の不動霊場です。
「慈覚大師円仁」はたびたび名前が出ますね。
円仁は最澄の弟子で、関東から東北で布教に活躍して、
中尊寺、立石寺、瑞巌寺、浅草寺などの開基にもかかわった高僧です。
目黒不動尊もそういう名だたる仏閣と同時代に建立された、たいへん由緒ある寺院ということです。
江戸時代は幕府の手厚い保護を受けて、行楽地としてもたいへんな賑わいだったようです(鬼平犯科帳にも出ます)。
商店がつらなる参道に江戸のにぎやかな名残が感じられます。
仁王門をくぐって境内を進んでいくと、参道入口左手に泉がわく水場があります。
円仁が独鈷杵を投げたところに泉が湧き出たもので、「独鈷の瀧」と名付けられました。
そこから「瀧泉寺(りゅうせんじ)」という寺号になりました。
独鈷の瀧には「水かけ不動」像が立っています。
お不動さまに水をかけることで、水垢離(水で清めること)と同じ功徳があるとされたようです。
つまり、お不動さまに自分の代わりに水垢離してもらうわけです。
前回(2017年7月)参詣したときに、私が水かけ不動に水をかけたら、
後で山田から、「お不動さまから『水はかけないでくれ💦』と言われたので、自分はかけなかった」
と言われて、「…早く言ってよ!」とモメたことを思い出します (笑)。
お不動さまは本当は水をかけられるのはイヤなのだそうです。
今回その視点で見ると、冷たい水の中にはだしで立たれて、
人々に水をかけられ続けているお不動さまがお気の毒に感じました。
男坂(←長い急坂)と呼ばれる参道の石段を登っていくと、まず山王鳥居があります。
お寺に鳥居?と思ったのですが、これは平成29年に建てられたものだとか。
この鳥居の表す意味は、密教の胎蔵界・金剛界と神道が合一したものを表しているということです。
目黒不動は神仏習合の霊場なのです。
山田の話です。
「山王鳥居は比叡山の地主神である日吉大社様式の鳥居です。
天台宗の総本山である比叡山延暦寺は日吉大社を大切にしていました。
江戸時代初期の天台宗の大僧正だった天海は、徳川家康の顧問をしました。
天海大僧正は江戸城を守るための五色不動(目黒、目白、目黄、目青、目赤)を配置したといわれています。
その中心が目黒不動尊になります」
7年ぶりに参詣した目黒不動尊は平日で参詣客は少なめでしたので、ゆっくりと祈願できました。
正式には「泰叡山瀧泉寺」という天台宗のお寺で、上野の東叡山寛永寺の末寺になるようです。
祭壇の奥に不動明王像が立っていますが、
ご本尊(開祖円仁が彫ったとされる)は秘仏で、12年に一度酉年に御開帳になるそうです。
大本堂を裏手に廻っていくと、真後ろに胎蔵界大日如来の大きなお像が祀られています。
これは不動明王の本地仏は大日如来であることをあらわしています。
その周囲を四天王が護っています。
境内には神社にあるような唐獅子型の狛犬像(都内最古)と、犬の狛犬像があちこちにあります。
江戸時代の作らしいのですが、たれ耳で穏やかな表情をしていて、野性味は感じられません(笑)。
犬の狛犬を見ると、「神犬さんはこんな感じかな?」と思います。
境内には愛染明王、延命地蔵菩薩、微笑観音、虚空蔵菩薩など、
いろいろな仏尊さま(石像)がおられ、ゆっくりと散策しながらお参りできます。
今回お参りしませんでしたが、地蔵堂には閻魔大王さまも祀られています。
目黒不動はありとあらゆるご利益があるとされますが、
特に「厄除け」「縁結び」のパワースポットになっています。
ただ……、「厄除け」のせいか、少しくもりがかった感じがありました。
山田の話です。
「目黒不動尊は厄除けの仏閣なので、少しケガレがありました。
そこで、自宅に帰ってから遠隔で超次元世界の尊星王帝柱さま、太元の大光明さまを注入しました。
さらに天御光永遠大神さま、天御光永遠大御神さまにお願いして、
超次元の光で目黒不動尊と大鳥神社の神仏のご開運をしました」
次に、近くにある目黒総鎮守・大鳥神社に行きました。
大鳥神社のご祭神は「ヤマトタケルノ尊、クニノトコタチノ命、オトタチバナヒメノ命」です。
もともと、国常立命を祭るヤシロがあり、
景行天皇の御代、ヤマトタケルノ尊が東夷平定で立ち寄った際に祈願したということです。
ですから、本来の地主神が国常立命になるわけです。
(景行天皇の時代ですから、2000年近い歴史になります)
その後、ヤマトタケルノ尊のミタマが白鳥となって現れたので、「鳥明神」として祭ります。
そのため社紋が「鳳凰」の紋になっています。
山田のタマシイとも縁の深いご祭神になります。
806年に社殿が造営されたということですから、目黒不動と同時期になります。
室町時代の「江戸図」に江戸九社のひとつとして描かれていますので、相当に由緒ある神社といえます。
境内左手奥に末社の「目黒稲荷神社」が鎮座しています。
ご祭神は「ウカノミタマノ命、スサノオノ尊、ホムスビノ神、ミズハノメノ命」です。
私の産土神社や鎮守神社のご祭神と重なり、やはり家族で縁が深いのだなあと思います。
(大鳥神社は次男の鎮守神社です)
大鳥神社も稲荷神社もスッキリして、雰囲気はよかったです。
大鳥神社と目黒不動尊は陰陽セットでお参りするのがいいと思います。
大鳥神社の参拝を終えて、駐車場に戻る頃から雨がぽつぽつきました。
雨に降られなくて気温も低めで、ラッキーなお出かけとなりました。
さて、自宅でお祀りしているお不動さまですが、実は5月から修復に出しています。
そろそろ修復を終えて帰ってくる頃ですが、どんな立派な姿になっているか楽しみです(*^^*)