本州最東端・千葉県銚子への旅【後編】

本州最東端から昇る朝日
本州最東端から昇る朝日

 (前編からの続きです)

 

宿泊したホテルは目の前が海で、部屋の窓からは全面に太平洋、

左手には海食崖に立つ犬吠埼灯台が間近に見えます。

 

ここから大海原を見ていると、

サルタヒコノ大神さまがなぜこの地に降臨したのか、

ふとわかるような気がしました。

 

さえぎるもののない大海原から朝日が昇ります。

 

ずっと以前、神さまのお話で、

《サルタヒコノ大神は大海原から出る太陽を表す大カムイです》

というお答えがあったことを思い出しました(秘録23号・2005年)。

 

サルタヒコノ大神さまの本拠地である伊勢の二見興玉神社も東側に太平洋をのぞみます。

 

山田の話です。

「二見興玉神社は夫婦岩が有名ですが、

夫婦岩の間から出る『日の大神』を拝む鳥居になっています。

一種の太陽信仰ですね。

また、夫婦岩は海底にある興玉神石を拝む鳥居にもなっています」

 

太平洋伝いに黒潮に乗って、伊勢方面から関東の地に来られたのではと思いました。

(黒潮が分岐するのが房総半島沖です)

 

この土地は古代より日の出を拝む太陽信仰の地だったでしょう。

東の海から毎日昇る朝日を見ていたら、自然とそうなります。

伊勢の朝熊(あさま)山も日の出を拝む太陽信仰の跡地でした。

 

2日目は、銚子の古刹で一番のパワースポットとされる「飯沼観音」に行きました。

銚子は飯沼観音の門前町として発展し、諸国から巡礼者が訪れました。

市の中心部にあり、広い駐車場も完備しています。

 

駐車場からお寺へ歩いていく途中に「銚港神社」があったので、参拝しました。

 

銚港神社は「本州最東端のまち、銚子の産土様」と称しています。

古くは「龍蔵権現」と称し、歴代の領主が信仰し、銚子発展の基になった神社とされます。

 

創建は717~724年、飯沼観音と同時期の創建であり、隣接する境内にあります。

 

銚港神社のご神体は、(飯沼観音の)観世音菩薩とともに海中より出現した馬脳(めのう)石だという話です。

 

銚港神社の主神はクラオカミノ神(水の神)、

相殿にシナツヒコノ神・シナツヒメノ神(風の神)、

配祀に菅原道真公(学問の神)、カグツチノ神(火の神)、以上5柱です。

 

そのご神徳は五穀豊穣・厄除け・学業成就・大漁海上安全・身体健全・商売繫盛などなど、

あらゆるご神徳があります。

 

クラオカミノ神は水をつかさどる女神の龍神さまです。

銚子は利根川の河口にあり、この一帯は古来より水の豊かな土地なのです。

 

また、シナツヒコ・シナツヒメノ神は風をつかさどる男女の神さまであり、

暴風を鎮め、漁業の安全を守護してくださるよう祈ったのでしょう。

 

シナツヒコノ神は元寇の時に“神風”を吹かせた神として知られています。

 

境内社として、左隣に朱塗りの社殿の金刀比羅宮が鎮座しています。

御祭神はオオモノヌシノ命で、航海と船舶の安全を守護します。

 

銚子は一大漁港であると同時に、利根川の水運、交通の要衝地です。

今はややさびれた感じがありますが、往時は相当に繁栄した町だったわけです。

 

また銚子は「醤油の町」なので、境内に2大醸造メーカーのベンチが仲良く並んでいました(笑)。

 

銚港神社は明るい雰囲気で、場もスッキリしていました。

 

次に、飯沼観音圓福寺に行きました。

圓福寺は奈良時代から続く真言宗のお寺で、ご本尊は十一面観世音菩薩を祀ります。

 

寺伝によれば、神亀元年(724年)、

海上が光り輝いたある夜に、

「輝いているところで漁をせよ」という霊夢を見た地元の漁師二人が網をおろしたところ、

左の脇にめのう(銚港神社のご神体?)をはさんだ十一面観世音菩薩が出現したのを網ですくい上げたという話です。

 

海や川から仏像や神像を拾ってくる、または網にかかるというモチーフは、神社仏閣の由来「あるある」ですね。

(東京の浅草寺も、漁師の網に観音像がかかってきたという由来です)

 

天平年間(729~749)、僧行基がこの奇瑞を聞いて、厨子を奉納しますが、

お像が大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、

お像が首をたれてみずから厨子に入ったとの話です。

 

さらに、弘仁年間(810~824)、東国巡礼していた弘法大師空海が、

台座や光背をつくり、開眼供養をしたということです。

 

本堂の入口左手に「銚子大仏」が鎮座されています。

1711年に鋳造された青銅製の阿弥陀如来坐像は、高さ5.4メートルです。

第2次大戦の戦火もくぐりぬけたそうです。

 

本堂の中に入ると、中央に十一面観世音菩薩さまの立像があります。

(ご本尊は秘仏ですので、お前立ちになります)

 

お坊さんが気軽に声をかけてくださって、堂内にあがって見学できました。

さらに「御縁袋」(5円入り)をいただき、プチラッキーでした(笑)。

 

境内には立派な五重塔もあり、薬師如来さまのお像があります。

 

きれいな公衆トイレも完備していて、

トイレの神さま「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」を祀っているのが独特です。

 

飯沼観音に満足して、帰路につきました。

 

山田の話です。

「飯沼観音は銚港神社とセットになっています。

神社仏閣が仲良く並んでおり、江戸時代までの神仏一体の名残があります。

 

ご本尊が秘仏になって、お前立ちがおられ、長野の善光寺を彷彿とします。

五重塔まであり、日本の仏閣の典型パターンでした。

 

さて、仏閣の開基には奈良時代の僧行基が関わっていることが多いのです。

奈良の大仏建立がなかなか進展せず、民衆に人気が高い行基菩薩に協力してもらうことで完成にいたりました。

 

それにより、行基は聖武天皇より大僧正の位を賜りました。

私は奈良時代では、行基さまが第1の名僧だと思っています」

 

 

余談ですが、9月11日、夕食をとりながら、

「行基さまは相当な法力があったのだね。

観音さまがみずから小さくなってお厨子に入ったというのだから」

という話をしていました。

 

すると突然、行基さまから山田に、

《ヒマラヤの第1回精神指導者サミットに自分も参加していた。第2回目も参加する》

というメッセージが来たそうです。

 

そういうわけで、28日は行基さまも参加されます。

御縁のある方々、よかったですね。

 

飯沼観音の銚子大仏(阿弥陀如来)
飯沼観音の銚子大仏(阿弥陀如来)