福岡旅行〔前編〕 筑前國一の宮・住吉神社参拝記

筑前國住吉神社の末社・天津神社
筑前國住吉神社の末社・天津神社

 

10月10、11日に、福岡へ行ってきました。

山田の母が市内の介護施設にいて、最近体が弱っているというので、

元気なうちに会っておこうとお見舞いに行きました。

 

義母は98歳になり、体力は衰えてきましたが、

頭はしっかりしており、いろいろな話ができました。

私たちが遠方から見舞いに来たことを、とても感謝してくれました。

 

(私の母が昨年96歳で亡くなりましたが、

奇遇にも母と義母は1歳違いで同じ誕生日なのです…(^^;)

 

 

さて、義母のお見舞いの後に、福岡市博多区に鎮座する筑前國一之宮・住吉神社に参拝しました。

筑前国(ちくぜんのくに)には2つの一之宮があり、住吉神社と筥崎宮です。

 

両社とも私は初めての参拝ですが、山田は2006年の福岡宗像神業ツアー(秘録25号)以来だということです。

 

住吉神社は博多の中心から近い市街地にあり、広大な境内を有しています。

鎮守の森も豊かで、さすがに一之宮という風格です。

 

正面にあたる西門でタクシーを降りると、

そこから一般道路をはさんで表参道があるのですが、

手前に浮島のような形で、池に囲まれた聖域があります。

 

山田が、「ここは重要な場所だから、先に参拝しよう」と言うので、そちらに行ってみました。

 

そこには住吉神社の末社「天津神社」が鎮座しています。

この池は天龍池(ひょうたん池、潮入の池)で、天津神社が鎮座しているのは亀島といいます。

 

ご祭神はイザナギノ大神さまです。

イザナギノ命が黄泉の国の穢れを落とすために、海水でミソギをされた場所が、

この天龍池という説があるそうです。

このミソギによって、住吉三神が生まれたわけです。

 

禊祓詞(みそぎはらへのことば)にある、

「筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸(おど)の阿波伎原(あわぎはら)」

が住吉神社の地であるとし、その禊祓で住吉三神などが生まれたので、

ここが住吉神社の始まりといわれます。

 

以前の神業で、天津神社には宮中ご八神もいらっしゃることがわかりました。

 

お社の左手に樹齢500年を超えるという、ご神木「霊験(しるし)の大楠」がそびえています。

  

 山田の話です。

「天津神社には宮中ご八神の生産霊(いくむすびの)大神さま、

足産霊(たるむすびの)大神さま、事代主大神さまが隠れていました。

 

その後、ご開運が進んだことで、住吉神社のご本殿に3神は移っています。

住吉神社に参拝する際は、この天津神社にも参拝するといいでしょう」

 

天龍池は昔、このあたり一帯が海であった名残だということです。

住吉神社はもともと海に面して建っていたのですが、

長い歴史の中で一帯はすべて埋め立てられたのです。

 

今は完全に街になって、たくさんの建物が立ちならび、

ここが以前は海(湾)だったと思えないにぎわいですが、

天龍池にわずかにその痕跡を残しているわけです。

 

池から突き出した噴水に西日が反射して、きれいな虹をつくっていました。

 

天津神社 天龍池にかかる虹
天津神社 天龍池にかかる虹

 

その後、表参道を歩いて、住吉神社本社にお参りしました。

 

全国に住吉神社は2129社あるそうですが、その最古がこの住吉神社になります。

大阪の住吉大社、下関市の住吉神社とともに「日本三大住吉」とされます。

 

創建は1800年以上前で、ご祭神は、

〇底筒男神(そこつつのをのかみ)、

〇中筒男神(なかつつのをのかみ)、

〇表筒男神(うわつつのをのかみ)の住吉三神と、

〇天照皇大神 〇神功皇后 

以上で、「住吉五所大神」としています。

 

イザナギノ命が黄泉の国のケガレを落とすために海でミソギをした時に、

海の深いところでお生まれになったのが底筒男神、

海の中間のところでお生まれになったのが中筒男神、

海面のところでお生まれになったのが表筒男神、になります。

 

「つつ」というのは古語で“星”をあらわし、住吉三神はオリオン座の三ツ星に比定されます。

住吉三神は「海の神、航海の守護神」とされますが、海上交通、航海には星が重要だったからです。

 

山田の話です。

「神さまのお話では、住吉三神はまさしくオリオンの神々です。

オリオンの神々は人類発祥に関わる神々でもあります」

 

住吉神社は1800年前の創建とされますが、

実はそのルーツ(本津宮)とされる神社があります。

 

福岡県那珂川市に鎮座する「現人(あらひと)神社」です。

はるか昔から住吉三神を祭っており、この現人神社から1800年前に分霊したわけです。

 

現人神社の由来によれば、神功皇后が三韓征伐に行った時に、

「住吉三神は人の姿でお后様のもとへ現れ、船旅の間、荒れ狂う波風を鎮め、

また相手の国の人々が矛を納め、誰も傷つくことのないよう働きかけ、

無事に国交を結ぶことができ、日本の国が豊かになりました」

ということです。

 

このことから、現人神社は仕事を成し遂げる上で助けてくださる

“仕事運の神様”として知られるようになったということです。

 

以前の神業では、現人神社のご神木に原ヤファウェがおられ、

そこのご神木と天津神社のご神木を光で結んで、ネットワーク化したとあります。

 

住吉神社では過去に神業をしているので、スッキリしたパワーを感じました。

 

広大な境内には摂社・末社をはじめ、いろいろな施設や古代力士像などのスポットがあります。

 

南門のほうへ行くと、池に囲まれた中に「三日恵比須神社」があります。

ご祭神は恵比須大神で、「幸運、航海の神」とされます。

 

触れた場所によってさまざまなご利益があるという、

福々しい恵比須像が境内に鎮座しているのが印象的です。

 

この社の創建は昭和24年で、当時のある住民が、

那珂川の河原の橋杭に寄り付いていた木箱を拾い上げ、

中に入っていたえびす様の神像を祭ったことに始まるそうです。

 

その後、本人に福運が舞い込み、お金持ちになったので、

住吉神社に祭ることになったそうです。

 

これもまた、前回の銚港神社・飯沼観音と同様に、神さまを「拾ってくる」パターンですね。

 

山田の話です。

「ミロク北辰の大神さまのメッセージです。

《拾ったご神体や仏像を拝むことでおかげをいただく場合、拾った人間の信仰心に相応して、霊験が発揮されます。

まさに「神は鏡のごとし」です》

人間と神仏は相互関係によって、神威・功徳が発動するのです」

 

その日は博多中心部のホテルに宿泊しました。

(後編につづく)

 

住吉三神を祭る筑前國一之宮住吉神社
住吉三神を祭る筑前國一之宮住吉神社