武蔵國の歴史ある古社その2「二宮神社」参拝記

武蔵国二之宮・二宮神社(東京都あきる野市)
武蔵国二之宮・二宮神社(東京都あきる野市)

その①からの続きです。

 

あきる野市二宮に鎮座する武蔵國二之宮「二宮神社」は、

阿伎留神社から車で20分ほど東に進んだ住宅街の高台に鎮座します。

 

境内は明るく開けていますが、社殿の背後と周囲は木々がうっそうと茂っています。

 

二宮神社は昔、小河大明神と称され、藤原秀郷(大ムカデ退治で有名)が戦勝祈願したとされます。

創建年代は不明ですが、藤原秀郷は平安時代中期の人ですから、

少なくともその頃には存在していたことになります。

 

まず、拝殿でお参りします。

ご祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)1柱ですが、

境内に末社が多数あるので、実際は多くの神々がおられます。

 

国常立大神さまが2013年に地球神界の主宰神に復帰したので、

関東の国常立尊を祭る神社に参拝することも、今回の目的のひとつでした。

 

山田がうかがうと、二宮神社の国常立尊さまは『国常立神さま』にバージョンアップしていました。

 

二宮神社境内の荒波々伎神社
二宮神社境内の荒波々伎神社

 

さて、山田が「たしか、二宮神社にはアラハバキノ大神威さまがいらっしゃるはずだ」というので、

境内を見渡したら、すぐに、それらしい小祠が目に入りました。

 

社の右側に、奉納されたわらじが何本かつるされています。

行ってみると、やはりそこが「荒波々伎神社」でした。

アラハバキノ大神威さまは「足の神さま」として祭られていることが多いのです。

 

そこにも横書きの金色の社号額「荒波々伎神社」がかかっていました。

(似ている…)

 

「これも、オレが書いた!」

 

なんと、こちらの社号額も以前山田が揮毫して、まほろば基金から奉納したものだったのです!……(^^;)

 

思いがけず、参拝した2社とも自分が書いた社号額の神社でした。

 

山田の話です。

「私は『祓戸大神』や『荒波々伎神社』の社号額を揮毫したのは憶えていたのですが、

“どの神社にご奉納したのか”まではすっかり忘れていました。

自分が揮毫した社号額のある2つの社を、

何か惹きつけられるようにすぐに見つけたのは、不思議な感じでした」

 

境内の下に道路をはさんで、きれいな湧き水がわく御手洗池があります。

ヤマトタケルノ命が日照りのため水に困っていたところ、

国常立尊を祭ると水が湧き出たという伝承です。

(ということは、創建はヤマトタケルノ命の時代でしょうか)

 

さらに御手洗池のほとりに社宮司社(しゃぐじしゃ)という末社があり、イシコリドメノ命を祭っています。

イシコリドメノ命は八咫鏡(やたのかがみ)をつくった神です。

 

武蔵國(東京・埼玉)では一之宮がさいたま市の氷川神社と氷川女體神社、

多摩市の小野神社も一之宮を称しています。

二之宮があきる野市の二宮神社と埼玉県神川町の金鑽神社になります。

(ただし、時代によって一の宮、二の宮は変遷があります)

 

二宮神社は昔ながらの鎮守さまという雰囲気で、

歴史が長いだけに、いくつかのおもしろいスポットもあります。

素朴ないい神社なので、もう少し参拝者が増えるといいなと思います。

 

自宅に帰ってから、まほろば基金の世話人をしてくださったOさんに問い合わせたところ、

「2社ともまほろば基金で、先生揮毫で奉納しました。

 面白いもので、流れに乗ったのか、1日で2社とも決まりました」

との話でした。

 

今回は山田にとって「自分の書いた社号額と出会う旅」になりました(笑)。

 

山田の話です。

「わが内なる国常立大神さま(ワケミタマ)のメッセージです。

 

《我が2013年に地球神界の主宰神に復帰してからは、

世界中の国常立大神の分身たちの神格が上がってきている。

国常立大神はある意味、“産土の総元締”というべき存在である。

したがって、世界中の産土の復活には、国常立大神の系統の神々のヨミガエリが欠かせないのだ》

 

11月にこの記事をまとめている時に、

古い会員さん(国常立神さまに縁ある)からメールをいただき、

二宮神社にたびたび参拝されていることや、二宮神社についての情報をいただき、

プチシンクロを感じました。(^o^)

 

 

さて、2024年も残すところわずかになりました。

今年も当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございました。

2025年が皆さまにとって穏やかで平和な年となりますようお祈りいたします。