悲劇の足立姫伝説

 

最近、新聞で初めて知った話に「足立姫伝説」があります。

東京の皆様はご存じでしたか?

興味をひかれたので、今回ご紹介したいと思います。

 

足立姫の「足立」とは、東京都足立区の足立が由来で、

1300年前の奈良時代にさかのぼる、地元のお姫さまの悲しい伝説なのです。

 

聖武天皇の時代、武蔵国足立郡に長者が住んでいました。

彼は多くの富を持っていましたが、子どもを授かることができませんでした。

 

彼が妻とともに熊野権現に参詣すると、妻が身ごもり、

とても美しい女の子が生まれました。

彼女は足立姫と名付けられ、大切に育てられました。

 

山田の話です。

「和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)は昔から大人気の聖地でした。

平安時代には宇多法皇に始まり、歴代法皇、上皇、女院などが京都から百余度もお参りをしたそうです。

民衆も大勢参拝し、“蟻の熊野詣”と呼ばれました」

 

 

足立姫が17歳になったとき、おとなりの豊島郡の有力者から、

姫を自分の妻にしたいという話が持ち上がりました。

 

足立姫は家同士のことを考え、やむなく結婚しました。

 

ところが、姑からいじめられ、つらい日々を送ることになりました。

 

ようやく里帰りできることになったのですが、

足立姫は故郷の川にたどり着いたとき、身を投げてしまったのです。

 

さらに、姫を追って12人の侍女も次々と入水してしまいました。

(侍女たちの遺体は発見されましたが、姫の遺体だけ見つからなかったのです)

 

その後、父は諸国の霊場参りに出ました。

熊野権現からの夢のお告げで霊木を授かり、海中に投げ入れると、

不思議と霊木は彼の故郷(足立)にたどり着きました。

 

そこで、諸国行脚中の名僧「行基」に頼み、

6体の阿弥陀仏と、余った木で阿弥陀如来像を作り、

姫のミタマを弔ったという伝承です。

 

それが足立区扇にある性翁寺(しょうおうじ)の「木余り如来」です。

 

性翁寺は726年、行基が足立姫の菩提所として開創したと伝えられ、足立姫のお墓もあります。

 

山田の話です。

「高僧の全国での伝説は弘法大師空海が有名ですが、行基菩薩もさまざまな伝説があります。

この2人が全国で伝説が残っているのは、彼らが民衆とともに生きた証です。

 

聖武天皇が大仏の造立をはかった際、寄進がなかなか集まらず困っていたところ、

行基を大僧正にすることで多くの寄進が集まり、無事に建立できました。

 

このことは、奈良時代に行基さまは私たちが想っている以上に、

民衆に絶大な人気があったことを示しています」

 

 

江戸時代以降、足立姫ゆかりの寺を参拝する「六阿弥陀詣」が流行し、

性翁寺には多くの参拝者が訪れました。

 

参拝者の多くは女性で、姫の供養とともに女性の幸せを祈願したそうです。

性翁寺は「女人往生」の霊場として、多くの女性の信仰を集めました。

 

私はこの足立姫が美女であり、身投げしたこと、

侍女たちが後を追って殉死したことなど、

ヤマトタケルノ尊の妻である弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)とイメージが重なりました。

 

弟橘媛はミコトとともに船で上総(千葉県)に渡るときに嵐が起こり、

海神の怒りを鎮めるために海に入ると、嵐がおさまりました。

残念ながら、自分を犠牲にするところが“古い元型”ですね

 

弟橘媛の後を追って、5人の侍女も海に身を投げたということです。

足立姫の場合も、12人もの侍女がすぐに後を追ったという話です。

 

昔の人の忠義の心はすごいのですが、生命をもっと大事にしてほしかったです…。

 

また、歴史的に女性の立場が弱く、男性優位社会の犠牲になっていた面もあるでしょう。

神仏の世界でも女神さま方や大地母神がだいぶ弱っていて、ご開運が必要でした

 

そして、1300年前にもあったという恐ろしい姑の嫁イジメ!

現代まで続く嫁姑問題は、なかなか根が深いテーマなのかもしれません…(-_-;)

 

ただ、この足立姫伝説が“史実”かどうかは、疑問があるところです。

 

熊野から流した霊木が、武蔵国の足立郡の海岸に流れ着くのは相当無理があります。

さらに、それが流した本人の手に戻るというのは、

「ありえないだろ~!」と思わずツッコミたくなります(笑)。

 

また、僧行基が実際に彫った仏像かというのも、なんともいえません。

当時、行基菩薩は大人気で、全国各地で布教し、関東各地にもさまざまな足跡を残しています。

 

ただ、実際にこの地を訪れたかどうかはわかりません。

(行基創建説は古寺によくある伝説ということです。

さらに、行基作とされる仏像は枚挙にいとまがないほどです)

 

伝説ですから、多少の“脚色”はあったのかもしれませんが、

阿弥陀像が祀られ、姫の墓もあるので、ある女性の悲劇的出来事はあったのでしょう。

 

史実かはさておき、1300年前の伝説が現代まで歴史としてつながって、

人々の心や地域に根付いてきたことが重要だと思います。

 

そして、その伝説が江戸時代に「六阿弥陀詣」というムーブメントを起こし、

令和の現代に新たな形でよみがえっているところが、おもしろいなと思います。

 

近年、足立区では歴史の再発見と町おこしの一環として、

この足立姫伝説をモチーフにした「足立姫フェスティバル」が開催され、

パレードなどで賑わっているとのことです。

 

 

さて余談ですが、1月に加護仏閣である東京の築地本願寺にお参りしてきました。

築地本願寺の「有翼狛犬」が、実は迦楼羅(カルラ、ガルーダ)だったということを初めて知りました!

 

鳥の姿でないので気づかなかったのですが、ガルーダさまだから翼があるのだなあと、納得しました。

築地本願寺はインド様式を忠実に再現して建てたお寺なのです。

 

築地本願寺の迦楼羅像
築地本願寺の迦楼羅像