2025.4.5

明治時代には「廃仏毀釈、神社の統廃合、廃城」の三大蛮行があった

 

明治時代は日本が封建時代を脱して、近代国家になったといわれています。

しかし、明治時代は「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)、神社の統廃合、廃城」という“三大蛮行”がありました。

 

明治初期の1868年、神仏分離令が出たのをきっかけに、日本全国で国民が廃仏毀釈に暴走していきました。

たとえば鹿児島県では寺院が1000寺ほど壊され、同時に多くの仏像も壊され、捨てられました。

 

さらに、1898 年~1916年に神社の統廃合が行われ、いくつかの神社を一つにまとめる作業をしました。

それまで18万社くらいあったのを、わずか3年間で14万7千社に減らしたのです。

現在はさらに少なくなって約9万社になっています。

 

現在、大きな神社の由来に、合祀としてさまざまな神々が祭られているケースがあります。

これは神社の統廃合によって廃止された神社のご祭神を祭ったものです。

 

熊野本宮大社は明治時代まで熊野川(新宮川)の中洲に鎮座していましたが、

上流で森林の大規模伐採を行なったため、明治22年に大洪水が起き、社殿が流されてしまいます。

現在、熊野本宮大社は近くの高台に遷座しています。

 

前世リーディングを行うと、どの一族にも神仏へのご無礼があります。

明治時代の廃仏毀釈や神社の統廃合を“積極的に”行った先祖がいたケースもありました。

 

それらは「宗教的カルマ」となって、本人の人生だけでなく、

子孫にさまざまな形(家族一族の不和、不運、難病、重度の精神疾患など)で悪影響を与えます。

 

仏像をバラバラにしたり、焼き払ったりする行為そのものも重大なのですが、

その行為を行ってしまう人間の“殺伐とした心”が、神仏はとても悲しいのです。

 

神仏は親であり人間は子どもという視点では、日本人はたいへんな親不孝をしたわけです。

 

戦国時代も神社仏閣の焼き討ちが頻発しましたが、明治時代も未曾有の「神仏の受難時代」でした。

人間はその時代の雰囲気にのまれて、ひどい行為をしてしまうものです。

 

そして、明治時代の1873年、「廃城令」が発せられました。

江戸時代にあった多くの城は封建時代の遺物として壊されました。

(現存天守は12城しか残っていません)

 

その後、城の文化財的価値が見直され、昭和時代から再建された城(復元・復興天守)も増えました。

最初から廃城にしなかったら良かったのです。

 

明治時代は国内では「霊的・精神的・文化的破壊の時代」であり、国外では「戦争の時代」でした。

 

江戸時代は265年間太平の世が続きましたが、

明治になって1874年の台湾出兵から始まり、日清戦争、日露戦争と戦争が続きました。

 

さらに昭和では日中戦争、アジア太平洋戦争と拡大し、最後は悲惨な敗戦になりました。

 

「古き良き日本を見直す」ということで、明治時代を想定している人たちがいますが、

明治時代に対する評価を見直す必要があると思います。

問題が多かった明治ではなく、江戸以前の日本の伝統文化という視点が良いと私は思います。

 


 

2025.3.22

輪廻転生と前世の記憶

 

人間は生まれ変わりの度に“リセット”されて、新たに生まれてきます。

その時に前世のことを忘れているのは、生まれてから「前世の罪悪感」に苛まれないための神仏の慈悲なのです。

 

たとえば、戦国時代では日本中で殺し合いをしていたわけで、

それが今世の記憶にそのまま残っていたら、新しい人生を歩むのは難しくなります。

 

時々、前世の記憶をもって生まれてくる子どもたちがいますが、

子ども時代が過ぎると、自然と記憶を失います。

 

これは天が「前世がある」ことを示しているのと同時に、

人間が前世を引きずらないようにしているわけです。

 

実は前世の記憶は、「前世の自己」という想念体(感情体)と分離することで、今世に持ち込まないのです。

 「前世の自己」は異次元世界に存在し、人間のチャクラを通じて現世の自己に影響を与え続けています。

 

「前世の自己」の中には、前世での経験があります。

前向きに生きていると、前世の経験が自分のチャクラを通じて情報が流れてきて、

前世のポジティブな経験を今世で活用できるようになります。

 

逆にネガティブに生きていますと、前世のネガティブな経験の感情が流れてきて、今世に悪影響を与えます。

 

最も良いのが、天命・地命に向かって生きることです。

そうすると、前世の自己のポジティブな経験を今世で活用でき、

最終的に「前世の自己」が融合してきます。

 

すると、自分のタマシイも大きくなり、自分が思った以上にさまざまなことができるようになります。

(前世セッションでは、前世の体験を活用して天命・地命を歩むために、前世リーディングを行っています)

 

 自分の前世のイメージは、両親や祖父母を観察するとある程度わかる

 

自分の前世を知るには、両親や祖父母を観察すると、ある程度わかります。

親は自分の前世の生き方に似ているのです。

 

なぜなら、自分の前世の想いや行為に相応して、今世の親が決まってくるからです。

「類は友を呼ぶ」ですね。

 

親は前世の自分と似たパターンの生き方になっているので、

それによって、前世の自分の思考や行動パターンを知ることができます。

 

両親の良きところは前世の良き自分を、

両親の悪しきところは前世の悪しき自分のトラウマ、カルマを“反面教師”として演じている場合があります。

 

また、家族も自分の“先祖の有り様”を表現しています。

親や家族からの“カルマや一族的トラウマに対する学び”が必要になります。

 

因果の法則によって、今世は一霊四魂が最も成長すべき環境、天命を歩みながら、

前世のカルマと気づきを実感できる環境に生まれます。

 

ただし、「カルマの法則」通りでは人間があまりに人生がきつい場合があるので、

カルマからモロに影響されないように、産土の守護曼荼羅のご存在たちの加護があるのです。

 

産土の守護曼荼羅のご存在たちをはじめ神仏や守護霊人たちのおかげで、

前世からのカルマの清算による、苦難の人生にならないで済むわけです。

産土信仰の大切さがわかりますね。

 


 

2025.3.8

人間関係においては「裏の性格(シャドー)」を考慮する

 

私が開運カウンセリングをしている時、たまに、

「私の友人が、他の人たちには私の悪口を言っていて、ショックを受けました。

今後、その友人とどうつき合ったらよいでしょうか?」

という質問を受けたことがあります。

 

人間は誰にでも「表の顔」と「裏の顔(シャドー)」があります。

それが極端に出る人とは、今後、友人としてつき合うのはむずかしいでしょう。

友人ではなく、知人だと割り切ることです。

 

陰で悪口を言っている人の中には、

自分が言っていることが悪口にあたるという自覚がない人もいますから、

相手の悪口に“過剰反応”をしないことです。

 

人間関係でショックを受けないコツは、

「人間は誰でもシャドーをもっているから、陰で悪口はいう人間はいるものだ」

と認識することです。

「ああ、あの人は今、シャドーが出たな」と思うと、ショックが和らぎます。

 

それから、聖者といえども、裏切られることがあるという認識をもつことです。

 

たとえば、釈尊の従兄弟のダイバダッタは出家した後、

釈尊をブッダ(覚者)と認めず、分派独立し、対抗しました。

 

イエス・キリストも弟子のユダに裏切られ、

十字架にかけられる際、残りの弟子たちも逃げ去ります。

その後、イエスの昇天を知り、弟子たちは戻ってキリスト教を布教することになります。

 

聖者でさえそうなのですから、私たちは「そんなこともあるのが人間社会なのだ」と思うことです。

 

また、「困った友人がいて、時々、迷惑をかけられているのですが」という相談もあります。

迷惑をかける人を“友人”とは言いません(笑)。

 

つき合って楽しい人、お互いを分かり合える人、助け合える人を“意識的に”友人にすることです。

 

なるべく自分よりもレベルが高い人、開運している人、

お互いに成長しようと思っている人とつき合うとよいでしょう。

 

 信頼すれども、無条件で信用しない

 

相手から裏切られる人を観ますと、信用し過ぎているパターンがあります。

 

会社のお金を使いこんだ経理社員も、最初から不正をしようと思っているわけではなく、

会社の管理の甘さがあって、“悪心”が生まれるのです。

 

人間は内なる神性・一霊四魂を宿していますが、

無意識の世界では「人間は善と悪が混在している存在である」と認識して、

慢心と油断を戒め、危機管理をこころがけましょう。

 

それから、「類は友を呼ぶ」という引き寄せの法則は、人間関係にもあてはまります。

 

相手に対して厳しい言い方をする人は、相手からも同様の言い方をされる傾向があります。

それが「作用・反作用の法則」です。

 

「自分の言い方がブーメランのように戻ってきているのではないか?」

と謙虚に反省することも必要でしょう。

 

また、日本人は自分に対する、他人の評価を気にしやすい傾向があります。

そうではなく、自己評価を大切にして、自己信頼を育てることです。

 

そうすれば、他人の評価があまり気にならなくなります。

 


 

2025.2.15

「開運する認知」を身につける

 

同じ物事を観ても、個々人のとらえ方によって、感想が大きく違うことがあります。

 

「祈っている最中に、食事をしている」→不真面目な人だ。

 

「食事をしている時も、熱心に祈っている」→信心深い人だ。

 

これは認知(もののとらえ方、受けとめ方)の違いによって起きることです。

開運するにはまず、開運する認知にする必要があります。

 

私が長年、開運法を指導していますと、

神仏の守護や後押しをいただきやすい人と、いただきにくい人がいることを実感します。

 

神仏への祈願や開運法の効果をあげるためには、「開運する認知」が重要な要素です。

 

コップでたとえますと、垂直に置きますと、たくさん水が入ります。

斜めに傾いていたり、逆向きになっているコップもあります。

 

このコップの“角度”が認知です。

 

認知が傾いていると、神仏がたくさん“おかげ”“吉運”という水をあげたくても、

どんどんこぼれてしまいます。

 

何かうまくいかない時は、文脈を変えて考えてみることです。

 

「努力しているが、うまくいかない」→「うまくいかないのは何が原因だろうか」

→「うまくいくために別の方法を考えてみよう」

 

つまり、開運や成功の秘訣は「創意工夫」であるといえましょう。

 

 開運するために「前提」を見直す

 

努力してもうまくいかない人たちは、「前提」が違っている場合が多いのです。

 

〇「正しいことをすれば、人生はうまくいくはずだ」という考えがあります。

実は、正しいことと、開運・成功は別です。

 

「何をすれば、開運(成功)するか」「何をすれば豊かになるか」

と考え、創意工夫していきます。

 

〇「頑張れば、成功する」という考えもあります。

 

頑張ったから成功するのではなく、成功するには創意工夫や“運”が必要です。

この「頑張る」は“頑固に自我を張る”という意味で、無理がかかります。

頑張りすぎると、健康面で不具合がおきます。

 

「最小努力で最大成果をあげるように創意工夫しよう」

「最重要なことを最優先に集中的に行おう」

「運を良くするために開運法を行おう。徳を積もう」と考え、実行することです。

 

〇「家族のために自分が我慢すれば。自分が犠牲になれば」という発想があります。

これでは、我慢の人生、犠牲の人生になります。

 

「自分もOK、家族もOKになるには、何ができるか。創意工夫をしよう」と考えます。

 

日頃から、「創意工夫、創意工夫」を口グセにするとよいでしょう。

 

「AもBも」「AとBの長所を活かして、新たなCを創る」

「~もある。ほかにも方法はある」

「方法はいくらでもある。かき集めてナンボだ」という口グセを多用します。

 

完璧主義から、“改良・改善主義”になりましょう。

 


 

2025.2.8

今世は「前世の体験」の影響を強く受けている

 

私が前世セッションをしていると、今世は前世でのさまざまな経験の影響を受けていることを実感しています。

 

人間は前世からのカルマ昇華をしたり、前世での誓い・誓願を解除しないと、

次の生まれ変わりの人生も似たようなパターンになりやすいのです。

 

たとえば、戦国時代の山陰地方の武将である山中鹿之助(幸盛、1545~1578年)は、

尼子十勇士の筆頭として、尼子氏復興をはかりました。

 

そのために、三日月に向かって、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈りました。

数々の苦難を自分の糧にしようと思ったのでしょうが、

その祈りの通りに苦難の人生になり、最後は殺されてしまいます。

 

私の前世リーディングでは、彼の生まれ変わりが乃木希典(1871~1912年)です。

 

乃木希典は江戸に生まれ、故郷の長州に帰ります。

その後、奇兵隊に入り、幕府軍と戦います。

 

1904年の日露戦争では、旅順包囲戦を指揮しました。

しかし、戦略がよくなく、多くの戦死者を出し、児玉源太郎の助言で攻略に成功します。

最後は明治天皇の崩御に伴い、自刃します。

 

鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した楠木正成(くすのきまさしげ)も、「七生報国」を誓いました。

七生報国とは、七回生まれ変わっても国のために尽くすということです。

 

楠木正成は湊川の戦いで足利尊氏軍に負けたので、室町時代は“悪党”とされました。

その後、南朝の忠臣と讃えられました。

 

楠木正成の生まれ変わりが西郷隆盛です。

明治維新の功労者・西郷隆盛は、「報国」を成しました。

 

しかし、西南の役をおこして逆賊になり、その後、名誉回復しました。

楠木正成と似たような人生ですね。

 

 人間は前世において、さまざまな誓いをたてている

 

私が前世リーディングをしていますと、山中鹿之助や楠木正成だけでなく、

少なからぬ人たちが前世でさまざまな誓いをたてていることがわかりました。

 

たとえば、前世で「自分の身を犠牲にしても、苦しい人たちを助けてあげたい」と神仏に誓願をしていますと、

現世でも苦しい人たちが自分の周りに集まってきます。

しかし、それは苦労の人生を自ら招くことになります。

 

また結婚でも、「自分が助けてあげなければ」と思う人と結婚することになります。

それでは幸せな結婚生活になりません。

 

また、「神仏に仕えるので清貧で生きます。富とは縁を切ります」

などと誓願しますと、今世も貧乏な人生になります。

清貧の誓願をしていますと、お金を稼いでもすぐに散財するパターンになりやすいのです。

 

それから、「私はどうなってもよいので、○○を助けて下さい」という祈りをする人がいます。

これは、“引き換え誓願”であり、無用な苦労を招きます。

 

「霊能力を得るために、結婚や幸せな家庭生活は望みません」

「家族との縁を切り、神仏に仕えます」

と誓っている場合もあります。

 

霊能者や超能力者が必ずしも幸せな人生でないのは、

何かを犠牲にする“引き換え誓願”を立てていることがあるからです。

 

自分の家族や一族が誓願をたてていますと、

それが子孫である私たちの人生にブレーキをかけている場合もあります。

 

したがって、それらの誓いや誓願は“解除”して、

「開運吉祥・和楽繁栄になるための新たな誓い」をする必要があるのです。

 

 

※カルマ昇華は、CD『自分でできる前世・一族・先祖のカルマの昇華法

~因果の法則による歴史上のカルマパターン』をお聴きください。

 

※前世の「ネガティブな認知・想い・誓願」を解除する誓い、

「一族・先祖のネガティブな認知・想い・誓願」を解除する誓いは、

CD『意識と無意識の調和、シャドーの浄化法』を参考にしてください。

  


 

2025.1.25

「正しさ」や真実よりも、天地自然の道理で判断する

 

易占には「正しくても凶」という文言があります。

つまり、正しいことでも、時期ややり方によってはうまくいかないことがあるのです。

自分が正しいと思っていることが、必ずしも吉にならないわけです。

 

事柄を「AかBか」「正しいか、まちがいか」のどちらかで考えるのが“二項対立思考”です。

「正しいか、まちがいか」と考えますと、迷いが多くなります。

 

なぜなら、正義は時代や場所、本人の価値観に左右されるからです。

 

また、「白か黒か」という二者択一思考をしないことです。

二者択一思考では、一つしか手に入りません。

 

「自分は正しい。相手が悪い(間違っている)」、または「自分が悪い」になります。

自己弁護をしたり、相手を攻撃したりしてしまいがちです。

 

ミロク北辰の大神さまのメッセージです。

《「自分は正しい」という観念にとらわれないことです。

人間社会の「正しさ」は時代とともに変化してきました。

 

また、「真実は何か」と考えると、狭い考えに陥りやすいのです。

「正しさ」「真実」よりも、天地自然の道理で判断することです》

 

たとえば、以前は「江戸時代は封建時代で士農工商の身分制だったが、

明治になって文明開化になった」とされていましたが、

現在は「江戸時代は世界でも珍しく、265年も続いた太平(平和)の世であり、

現代の元になる文化が花開いた」とされ、評価が一変しました。

 

つまり、「真実」というのは視点や時代によって、大きく違うわけです。

 

天地自然の道理とは、「無理がない。偏りがない。納得できる。陰陽調和」ということです。

ゴータマ・ブッダ(釈尊)は、

「道理を実践する人を、つねに道理が守る。

大雨が降る時に傘が守ってくれるようなものである」

「道理をよく実践すると、幸せを受ける。

道理をよく実践すると、このすぐれた利益がある」

と説いています(『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳、岩波文庫)。

 

 讒言(ざんげん)のカルマを積まないようにする

 

いわゆる「陰謀論」は善か悪かという“二項対立思考”です。

これは文字通り、対立や分裂を生み出します。

 

正義や真実にこだわっていますと、自分の無意識のシャドーに“悪”が増殖します。

これは、心が偏った考えのバランスをとろうとするからです。

 

また、真偽不明のネット記事を読んで、

「この真実を多くの人々に知らせなければ」

と思って、拡散する人たちがいます。

 

もしその情報が虚偽の場合、“讒言のカルマ”になります。

「よかれ」と思ってやったことでも、それは深いカルマになり、

本人の運気や来世に影響を与えます。

 

さらに社会の混乱に拍車をかけることになります。

出所不明の情報を安易に拡散することは、慎みたいものです。

 

何事もバランスが大切です。

ネット記事にはまる人たちは外の情報ばかりに関心が向いて、

「自己の成長」には興味がない人が少なくありません。

 

内なる自己のレベルアップに意識が向くと、内と外のバランスがよくなります。

 

1週間の中で、「自己の成長・レベルアップ」のための時間をつくると良いと思います。

内なる成長が進むと、直観力や洞察力がついてきて、外なる情報の良否も観えてきます。

  

※具体的な天地自然の道理に関しては、CD『進化発展の法則を活用した開運・成功術』をお聴きください。

 


 

2025.1.11

新たな「鳳凰の時代」を目指して

 

2024年は日本の観測史上で、最も平均気温が高い年になりました。

世界的にも平均気温が高くなり、異常気象、干ばつ、洪水が多発しました。

アメリカでも広域の山火事、大型のハリケーンや竜巻など、気候変動の悪影響を受けています。

 

にもかかわらず、トランプ氏は地球温暖化対策に関心を示さず、

(石油、石炭、天然ガスなどを)「掘って掘って、掘りまくれ」と声高に唱えました。

 

そして、多くの国民の支持を得て、トランプ氏は次期アメリカ大統領に選出されました。

 

中国に次ぐ二酸化炭素の排出国であるアメリカ合衆国の国民がこの認識では、

今後、地球温暖化による気候変動は加速していくことが憂慮されます。

 

気候危機による生態系の変動や森林の伐採などにより、動植物の絶滅が急増しています。

 

ピュリッツァー賞(ノンフィクション部門)を受賞した『6度目の大絶滅』

(エリザベス・コンバート著、鍛原多恵子訳、NHK出版)には、次のようにあります。

 

「地球ではこれまで5度の大絶滅が起きている。(中略)

現在サンゴの数の3分の1、淡水産貝類の3分の1、サメやエイの3分の1、

哺乳類の4分の1、爬虫類の5分の1、鳥類の6分の1、植物の2分の1が

この世から姿を消そうとしている。(中略)

毎年、推定4万種のペースで人知れず進行しているのだ。

このままでは2050年には種の半分が消えてしまうかもしれない」

 

人類の手によって、恐るべき種の絶滅が加速しているわけです。

これほど種が絶滅していて、人類だけが無事なわけがありません。

 

実際、人口の増加と気候変動による農作物の不作により、

2023年の飢餓人口は約7億3300万人とされ、今後もさらに増える恐れがあります。

食糧の輸入にたよっている日本も、早急に食糧自給率を高めないといけません。

 

古代のメソポタミアのシュメール文明やインダス文明など、

文明の衰退・滅亡には気候変動が深く関わっています。

 

地球規模の気候変動が現文明の衰退・滅亡の主な原因の1つになる可能性が高いのです。

ある意味、現文明の“自壊”が起きているのです。

 

そして、一つの文明が終わりを迎える時、新たな文明が勃興します。

 

ただし、現文明からそのまま移行するのは無理です。

現文明は戦争と環境破壊をもたらす文明だからです。

 

現文明の自壊と新たな「鳳凰の時代」の誕生は、同時に進行していきます。

 

 「現代文明の自壊」と同時進行で、「鳳凰の時代」がだんだん現れてくる

 

中国の神話では「鳳凰は天下泰平をもたらす聖鳥」とされ、「平和、吉祥、繁栄」の象徴です。

私は21世紀のうちに、「鳳凰の時代」という新たな時代が現われてくると考えています。

 

「鳳凰の時代」とは大自然と調和した、平和と繁栄をもたらす新たな霊性文明の時代です。

それは「超人類、新次元人類、平和の志が高い人類」の3種の人類によって築かれます。

 

超人類は外見的にはいままでの人類と変わりませんが、

現人類よりも霊性や知性が格段に高い新しい人類です。

 

彼らは新たなる思想や技術を生み出すとともに、

人類が抱えているさまざまな問題を驚異的な方法で解決することができる

可能性をもった“人類の希望”です。

 

そして、超人類とともに鳳凰の時代を創る人類が、新次元人類です。

超人類のような特殊な能力はありませんが、

新次元人類は平和への志高い人類がある程度霊的進化をはたした人類です。

 

2025年は平和と繁栄をもたらす「鳳凰の時代」に向けて、行動を起こす年にしたいものです。

 

また、厳しい時代を乗り切るためにも、

産土信仰を軸とした各種開運法を行い、運がいい人間になっていきましょう。

 

同時に、日頃からなるべく善行を実践することで、「徳」を積んでいきましょう。